先日、某学校の部活動のチームメンバーに引率しました。
生徒たちの闘志むき出しのパワーに感動し、
勇気をもらう心地よさを感じながら観戦していました。
この試合は、
一方のチームがかなり優勢の内容でした。
その時です。
「てめぇなにやってんだよ!
ボーっと突っ立てないで、しっかりやれや!!」
チーム全体の動きが止まるまで、
時間はかかりませんでした。
そして、次の瞬間、
得点が入りました。
この時点で、何点取られてたのでしょうか、、、、。
今度は、
先ほど激(?)を飛ばした選手とは違う選手だったでしょうか。
「口ばっかりで何にもできねぇじゃねぇか!
人に色々言うなら、やってみせろや!」
「なんてことを、、、、」
胸が張り裂けそうでした。
確かにプロ選手の試合の中でも
『激』が飛びますが、
建設的な激が多いものです。
『激』には、
励ます意味合いもありますから、
決して悪いものではないと思います。
しかし、
その日生徒たちが使った「激」は明らかに違いました。
「このチームが戦う相手は誰でしょう?」
心の中で、問いかけていました。
帰りの車中で、
引率した生徒にこのことをどう感じたか訪ねてみました。
「言葉を失いました。」
「ありえない。」
「あのやり方では、逆転はできない。」
「俺たちは、やりませんよ。」
「そう感じたのね、ありがとう。」
そう伝えました。
改めて、考えて欲しいな。
「チームって何をもって、チームというのだろう。」
「チームワークがいい、ってどういうことだろう。」
生徒たちに関わる度に、感じることがあります。
「子ども達だけが悪いのではない。
その子ども達に関わる大人たちの責任は大きい。
だからこそ、
選手本人も、
親・子たち達を指導する大人たちも
きちんとした学び必要がある!」と。