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中学生の頃の私 2015.12.23

学校に行かない、行かれない日々

 

 

 

 

 

 

RADIANT SMILEの笠原 睦美です。

 

何事もない普通の中学生活を送っていたある日、

 

この出来事はその後の私を大きく変えることになりました。

 

中学2年生の6月頃、

 

部活の練習中に接触し、私はなんともなく友人は負傷しました。

 

翌朝の練習に行くと部員全員が私を無視し、

 

「骨折させておいてよく来れるよね。」

 

と罵声を浴びました。

 

関係ないクラスの友達も悪口を言うようになり、

 

机の上に落書きをされたり、

 

筆箱や靴がなくなったり、

 

様々なことがありました。

 

母と一緒に友人の家に謝りに行きましたが、

 

状況はエスカレートするばかりでした。

 

担任・顧問の先生に相談すると、

 

「あなたの考え方が狭い」

 

「もう少し広い視野でものを考えた方がいい」

 

としか言われず、

 

学校に行かない・行かれない時間が増えていきました。

 

何度、眠らないまま次の日の朝を迎えたでしょう。

 

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そんな私に周りの大人たちは、

 

「自分が悪いことをしていないなら、学校へ来れるだろう?」

 

「それを逃げてるって言うんだ。」

 

「たった1人、味方をしてくれる人がいればそれでいいんだ。」

 

「何やってるの!しっかりしなさい。」

 

私の記憶では、

 

誰1人、私の話を聴いてくれた人はいませんでした。

 

どうしてあんなに消えていなくなりたかったんだろう?

 

今なら分かります。

 

「勇気くじき」ばかりでした。

 

 確かに親や先生の言うことが正しかったと思います。

 

でも、その意見の多くは、私の存在を否定しているようにしか思えませんでした。

 

私には私の感じることがあって、

 

私には私の考えがあり、

 

ただそれを黙って聴いてくれる人を私は求めていました。

 

私が話したことに対する批判や答えや指示を必要としていたわけではなく、

 

「そんなあなたでもいいのよ。」

 

「いつでも、どんな時でもあなたの味方よ。」

 

「今、一番やりたいことは何かな?」

 

と誰かに言って欲しい気持ちでいっぱいでした。

 

しかし、

 

その時の私に、それを伝える力も言葉も勇気も持ち合わせていませんでした。

 

多感な時期であり未熟な中学生にとって、

 

大人たちが「子どものために」と発した言葉・行動は、心を大きく傷つけます。

 

たった一言の影響力・関わる人の影響力は、

 

そのあとの人生さえも大きく影響してくるのだと今改めて感じます。

 

子どもに対する親の「心配」は多くの場合、

 

子どもにとって「おせっかい」にしか受け取れません。

 

そんなことよりも、

 

そばにいて、理解してくれて、

 

「大丈夫、いつでもあなたの味方よ。」って言って欲しい。

 

そうです。

 

アドラー心理学の「共感・信頼・尊敬」「勇気づけ」そのものです。

 

勇気づけを受けた子どもたちは、自分で動き出します。

 

必ず。

 

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